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ローマ

行きたいところだけをピックアップして、行き当たりばったりのような感覚で始まった子連れ旅。ローマ

7年ぶりの海外、どうなることやら・・・ではなく、旅の進化に驚く。

昔は旅と言えば、地図を広げて距離感もいまいち掴めないまま、右往左往しながら・・の超アナログなイメージだった。

それこそ交通機関も使わずにひたすら歩く・・・のようなのが、旅のイメージ。

私の旅は7年空白である。その空白も段階を踏んでいれば、そう驚くようなこともなかったのであろうが、このスマートフォン一つでどうにでもなる時代、びっくり。

現在地から目的地まで検索すると、行き方や交通手段、かかる時間などなど、たやすく情報が手に入るではないか!

今更・・・と思われる方、すみません。それくらい私にとっては衝撃でした。

なので、行きたい所は全て行くことができ、ありとあらゆる乗り物にも乗り、いやいや、フリーでこんなにスムーズな旅は初めてな気がしたのであった・・・。

 

話は戻り、バチカンの入館予約時間に間に合わなかった我々は、気を取り直して次に進むことにした。

ローマの主要名所を回る二階建てバスに乗って、コロッセオの周辺で降りた。

6世紀頃から建てられていったSanta mariain cosmedein教会。

幾つか回った教会の中でも一番好きだったかも知れない。

 床は大理石モザイク、ゴシックの装飾が華やかでありながらも、厳かな雰囲気を作り上げる。

一歩一歩踏みしめる毎に心が休まる気がした。

坊主もよく歩いた。

 

歩いては教会へ立ち寄り、色んなこともやってみた。

そして本当にこのイタリア旅の間、欠かさなかったマルゲリータ。

飽きもせず数ある種類の中でも、毎回マルゲリータ。

日本へ帰ってから今でもピザを食べに行くと、ブレなくマルゲリータを頼む坊主・・・。

しかし美味しそうだな・・・・また食べたくなったな・・・勿論イタリアで。

 

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2月の営業:月水金土

営業時間:12時から18時

| 旅のお話 | 15:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
イタリア〜ローマ 

突然に決めた今回の旅。

ひとり旅と違い子連れということで、事前準備にも時間が掛かった。

今まで薬を持って行くことはなかったのに(体力には自信あったので!)何種類か持参したこと、また勿論荷物も2倍になったこと(と言ってもかなり少ないけれど)などなど、7年ぶりの海外ということもあり、かなり気を遣った気がした。

そして飛行機に乗るのをかなり怖がっていた坊主。

どうなることかと思いきや、それは恐怖から興味へとすぐに変わり、機内を楽しんで過ごしていた。

半分くらいは画面で飛行機の航路をボーっと眺めて追跡していたような・・・。

アリタリア航空でローマ入り。

一日目はバチカン市国へ急ぐ。青が眩しい青空の下で世界中からの人々の群れ、とても賑わっていた。

サンピエトロ大聖堂。

今年は聖年で25年に1度開く門を潜ることがこの旅最大のテーマ。私はキリスト信者ではないけれど、もしかすれば何かしら祝福を受けるかもしれない。

ヨーロッパはテロなどで不穏な状況下でもあり、教会へ足を入れるのに厳重なセキュリティーチェックが行われる。

そして大勢の人と一緒に足を入れ、潜れる扉を探そうと、詳しい同行者に「どこどこ!?扉へ先に行こう!!」と尋ねると「あら、今潜ったわよ!!」と・・・・。

↑この下の扉。

いや〜〜!一言言って欲しかったぜ!!もっと聖なる気持ちを持って潜りたかった!!とりあえず先を急ぐという感じで、ひょいっとまたいだ入り口・・・そんな感じだけではないか!!

・・・とまあ、それでも今回の旅のテーマを先に1つクリアできたということで気を取り直してGO。

その裏のバチカン美術館もこの旅最強の目的地。

予約の時間に間に合うよう・・・と、余裕を持ったつもりが、建物が大きくてかなり歩いても入口が見つからない・・。

焦る焦る・・・そして2分遅れで辿りついた待ち合わせの場所。既にチケットを持った現地の方は見当たらず、他の予約者と共に美術館に入ってしまっていたのだった・・・。日本的感覚ではアウトだったのだ。融通は利かない、待ってくれない。

いやおかしい、、20年程前に行った時に感じたイタリア人はルーズだった、はず。

急いでお願いしていた人へ連絡を取り、事情を説明。明日に変更できるとのこと。ああ、良かった。

 

こんなユルい感じでスタートした旅。これからどうなるのか・・・。

 

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9月の営業:月水金土
営業時間:12時から18時

| 旅のお話 | 18:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
旅またひとり

最近、旅先での会話をふと思い出し感じることがあった。

何年か前に訪れた八重山列島。
石垣島を拠点として、島々を体感できればなという魂胆。
宿泊はもちろん安宿、そしてそこでの人々との出会いや体験もまだまだ記憶に新しく、自分という本体に蓄積された、お金では買えない財産となってこれからも残っていくであろう。



その頃は若さゆえに貪欲でやりたいことを実行。
西表島ではカヌーとトレッキングを目的に、ガイドさんとマンツーマンで周遊。
生い茂るマングローブをゆっくりと漕ぎ勧めながら、バンバンに自然の気を浴びた。
上流に到着してカヌーを下り、亜熱帯地域の動植物を観察しながら、滝の上を目指して歩く。
そしてたどり着いた先でガイドさんとおやつ時間に交わした会話。
「一人旅ですか?一人旅は女の人が何故か多いですよね〜〜・・・」と。
「そうなんですか?私は自由気ままに動きたいので〜旅は一人が好きなんです。」と返答。
すると「男は少し違うんですよね。というか僕は・・なのかもしれませんが、仲間で旅をすることが多いです。それは皆で感動を分かち合いたいから」。
なるほど・・・その感覚は男ならではかも知れない、と思った。
そしてその当時は全く共感することもなかった。

今家族が増えて(子供ができて)、思うこと。家族で感動を共有したい・・・・そういう気持ちに溢れている。
家族で同じ場面を体験し、共感、またはそれぞれの別の感性で試してみたい、そう思う。
そして子供が巣立った時は、今までとは違う感覚が備わっているのであろう。
若い頃の多大なる欲を削ぎ落とした自分を再び一人旅へ・・そんな気持ちが芽生えることを今から期待している。


6月のお休み:木曜と日曜
営業時間:12時から18時(金曜のみ19時)
*6/30(土)はお休みを頂きます。
| 旅のお話 | 15:04 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
どんな旅
ジャマイカ
旅が始まるとき。

 空港に近づくにつれ日々の暮らしから少しずつ心が遠ざかっているのに気づく。
頭の中はすっかりまだ見ぬ土地への期待でいっぱいに・・・・。
ゴロゴロとスーツケースを転がして手続きに走る自分はもうすっかり日常ではない。
空港のにおい、目にするスーツケースと旅人の姿、そして国と国とを繋げてくれる機体を目にするとテンションが一層引き上がる。

特に英語ができるわけもない、勇敢でもない、そんなに旅慣れているわけでもない。
そんなわけなしだらけなのでいつも事前準備は割りとする方(・・・・とは言えないかもだが。。)。
準備している時が楽しいよね〜なんてことも耳にするが、一番面倒くさくて好きでない作業。
そして家を出る時も、あぁ荷物が邪魔だ〜あそこを調べておけばよかった〜などと割とマイナスから始まる。
しか〜〜し!空港が見えると次第に身も心も引き締まっていくから不思議だ。。

ひとり旅の場合、特にそう。全部ひとりで調べて、ひとりで交渉して、ひとりで・・・・。
ボヤーっとはしておれない。24時間をよその土地で過ごすのだから、犯罪に巻き込まれないように常に注意深くなっている。それだけでかなりの精神を使うもの。
そしてせっかく来たのだからと興味があるものにはどんどん首を突っ込む。
するとその土地の人々との関わりも増えてくるのでつたない会話とジェスチャーで頭も体も使い果たす。
こんなに不便で疲れる旅なのにどうしてまた行きたくなるのだろう。
理由は人それぞれ。いろんな旅の定義があるのだろう。
自分は?やはり人が好き。国は違っても人として持ち合わせている愛は一緒だ。
それをいつも確信できる。人は本当はとても優しい・・・愛でできている・・と。
ジャマイカ
旅の1カ国、ジャマイカは自分にとっては今も心残りのある国。
マイアミ経由モンテゴ・ベイ空港に降り立つとともに、流れてくるレゲエの音楽。
気分はすっかりジャマイカン。テンションの上がったままホテルへと到着。
オールインクルーシブというホテル敷地内どこで食べても飲んでも全て料金に含まれるという非常に贅沢な旅。
カリブ海を前にビーチでカクテルをガバガバと・・・・。食べたい時に食べたいもの、飲みたいときに飲みたいものを。。
そして街でも気さくなジャマイカンは「ヤーマン!!」と声をかけてくる。
にっこり微笑んで「ヤーマン!」と答え、そんなことが日々繰り返された。
ガードマンを付けてレゲエのパブにも行った。ガードマン付きで夜景も見た。
でも何か物足りない・・・どこか焦るようなそんな思いで旅が終わった。

贅沢な旅ほどその国は見えてこない。人も見えてこない。
お膳立てされた旅は向いていなかったのだ。若かったのでそんな答えはあとから分かった。
苦労があってこそ旅、その先に人の温もりを感じることが自分流な旅の定義。
今は守るべき家族ができたので、あえて危険性を感じる旅は避けたい。
そして今はいけない現状もそれなりに納得して今を楽しんでいる。
もし次行けるチャンスができたなら・・・たとえお金が有り余っていたとしても(ありえないが)・・・・
二度と苦労のない旅はしないだろう。
ふと・・・いつ訪れるか分からない旅についてそんなことを考えた。
1月のお休み:木曜と日曜 
営業時間:12時から18時(毎週金曜のみ19時までの営業となります)
| 旅のお話 | 20:12 | comments(0) | - | pookmark |
旅に立つ その

カイロでは夜はあまりぶらつかないように言われていた庶民の集う街に
仲間と出かけた。若いだけに恐怖感より怖いものみたさの方が上回る。
昼間の顔と夜の顔が違う暗がりの通りは妙によそよそしく思えた。
何気ないお喋りをしながら歩いていると手前から馬を牽いた怪しげな男が
声を発しながらやって来た。
我々しかいないこの通りで確実にこっちに何かを訴えている。
無視して通り抜けると、何かを言いながら後ろから馬にまたがって
ついて来た。
これは嫌な感じだ。。。逃げるような早足でこちらも離れようとするが
大声を発しながらずっと追いかけて来た。

逃げ込んだ一軒の小さい古めかしいお店。まだ電気はついており
中にはお店の老人店主がいた。
さとうきびのジュース売店だった。はっきりと覚えていないが
さとうきびにしろ老人の着ている服にしろ思い出される全体のカラーが生成りの風景だ。
老人はいぶかしげに我々を見ている。外を振り返るとさっきの男が
馬に乗ってこちらの様子を伺っていた。かなりしつこい・・・・。
老人もそれに気づいた様子だったので、私は外の男をちらちら見て
老人に目で合図してみた。
「そとの男、アイツやばい奴!?」
すると老人は黙ったまま頭を動かさずに「そうだ。危険な奴だ。
アイツはやばいよ」と目で合図してくれた。
目の細かい動きで状況を説明してくれ理解できた。
アラビア語は分からない。けれども目で会話ができた。
目は口ほどにモノを言った。
その後、時間を稼ぐために、店内にあるさとうきびをなめさせてくれ、
ジュースに至るまでをアラビア語でいろいろと説明してくれた。
内容はさっぱり分からなかったが、コミュニケーションははかれたと思う。
しばらくして外を見るともう男の姿はなかった。
ほっと胸をなでおろし、あとは老人と笑顔でしばらく会話を楽しんだ。
一緒に写真を撮ると、「ここの住所に写真を送ってくれ」と
汚れた紙にアラビア語が書かれた。「OK!!」と言って深々とお礼を言って
握手して店を出た。
それからホテルまでは急ぎ足で、無事戻ることができた。
その男はおそらく大麻を売りつけようとしていたのではないかと思われる。
この旅の後にひきずって覚えている思い出は、ピラミッド、ミイラ、神殿でもない、さとうきびの甘さと老人の目であった。

日本に戻って、すぐ仲間がゼミの先生にあのアラビア語で書かれた住所を
見せたが、あまりにもの書きなれた略字だったので、理解できず
写真を送ることができなかった。今思い出しても悔やまれる。
「きっと、約束だ!」と老人は表現していた。
日々、郵便物が届くのを待っていたかもしれない。それを思うと胸が痛む。
何かまた別の方法もあったかもしれないが、日本に戻るとすぐ現実に戻り
日々の慌しさの中に約束も埋もれてしまった。

人の優しさに触れることが自分とって旅の原点となったのは
この体験からであった。
旅を終えると必ずそれを感じ取れるので、ほっとする。
いつもそれを確認しにいくかのような旅である。
国は変わっても人間の持つ優しい気持ちは世界みな同じで変わらないなと。

その後旅した国で同じような写真にまつわる出来事があったが
これは見事ハッピーに終わった。このお話もまたの機会に。

*今週は12/2(水)3(木)6(日)がお休みとなります。
ご迷惑をお掛けしますがよろしく御願いいたします。
| 旅のお話 | 02:13 | comments(2) | - | pookmark |
旅に立つ その

15年程前の写真がひょんなところから出てきた。
あ・・この写真を撮る寸前までこの両端のおっちゃんたちと
笑顔で会話にならない会話をしていたよな。。。
記念に写真を撮った後、お金をせびられたな・・・・。
この国の子供たちは、私の乗った車が信号で停まれば、花束を持って
「バクシーシ(買って金をくれ)!!」と集団で追っかけて来たっけ。

いつから人生と旅を繋げるようになったのか・・・。
旅を意識するようになったのはどこからなのか・・。

まだ小学校に上がるその前後の頃、日曜日はしょっちゅうじいちゃん
ばあちゃんの家に遊びに行った。
晩のその時間にじいちゃんが必ず見るテレビ。
その他大勢は別の部屋でトランプや談話を。
私はじいちゃんが毎週日曜に欠かさず見るその番組メロディーが
流れてくると小さいながらも切ない気持ちになり、じいちゃんが見ている後ろから見ていた。
おそらく鑑賞者は二人だけだった。
じいちゃんはじーっと見ている。私も沈黙で見ていた。
そう、、「日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行」を。
1966年に放送開始された海外取材番組の先駆者であろうこの番組。
私はブラウン管に映る景色を見てはいるのだが、もっとその向こうを
見ていた気がする。遠い過去にあったような記憶を。
オレンジ色の光に包まれた大草原をキリンや象がゆっくりゆっくりと
足を伸ばして歩く姿に郷愁を覚え、何故か「あぁ・・私もここに帰りたい・・」という気持ちにさせられたのであった。

学校に上がると視力はどんどん低下し、テレビや本を見た後は
必ず外に出され、遠くの景色を見てなさいと言われた。
冬の晩の寒空に輝く星や月を眺めながら、「うさぎがもちをついているのは
本当だ。私も早く帰りたい。」「世界中の人々が見ているこの空。
遠い国の見たこともない人達が同じ空を見てるなんて不思議だ・・。」
そんなことも考えてた気がする。勿論、そればかりを思っていた訳でもないが。
そののち「なるほどザワールド」を見て、将来は海外リポーターになれば
いろんな国へ回れる!と思いついたり、中学時代に米米クラブの
「浪漫飛行」が、そして高校ではJALのCMに使われているのを見ると
益々、トランク一つで世界を飛び回りたくなった。

大学に入ってのバイト代は旅行の資金と化けた。
初海外はフランスとイタリア。
主に美術館を見て回り、今から思えば熱心に見たかと言えば
そうでもなく、浮ついた気持ちで何となく過ごした。
次に訪れたエジプト。
ここで出会った人々により旅への想いが強まったのであった。

*11月末までは金・土・日・月の営業となり
火・水・木はお休みさせて頂きます。
尚、今週11/27(金)は17:30までとさせて頂きます。
ご迷惑をお掛けしますがどうぞよろしくお願い致します。
| 旅のお話 | 00:25 | comments(4) | - | pookmark |
ホーランエンヤ

少しの間日本からお外への旅はお預けということで
ひょいっと足を伸ばせる所までのショートトリップを実施中〜(店主の中だけで)。
島根松江の日本三大船神事の一つ、「ホーランエンヤ」を見て参りました。
12年に1度ということで、死ぬまでに何度と見れるチャンスはないと思い
華の土曜日にお休みを頂いた次第でございまする。はい・・・。

「ホーランエンヤ」は、今から360年前、出雲では大凶作が予想され
当時所藩主松平直政公が、稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社にお運びし
豊作の大祈祷をさせ見事成就したことから、10年に一度、現在では
12年に一度、約100隻の船が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる、
360年の歴史を有す豪華絢爛大船行列の行事であります。
渡御祭(5/16)、中日祭(5/20)、還御祭(5/24)で完結です。


見に行ったのは渡御祭で、御神霊を色とりどりの装飾をした5隻の櫂伝馬船の華麗な踊りを奉納しながら、約100隻の大船団を伴って御神霊を阿太加夜神社まで
4つの大橋をくぐってお運びするというものでした。
ちなみに中日祭では運ばれた神社に踊りを奉納、還御祭はもとの稲荷神社へ
渡御祭と逆の航路を辿って、お返しするという祭りとなります。

生憎の天候でしたが、雨を跳ね除けるその光景に立ち尽くすのみでした。
ホーランエンヤという音頭取の空を突き抜けるような掛け声、
一糸乱れぬ漕ぎ手の櫂さばき、そして大きく天空全体を仰ぎ、剣櫂で突き刺し
振舞う踊りには、力強さの中にも美を感じ取れました。

こちらは大正4年(1915年)当時。
 


駆け足で立ち寄った出雲大社。
数年前に訪れた出雲大社と今回の空気はまた違いました。
己の気持ちもあるのでしょう。
出雲の国は、神話の国。足を踏み入れると同じ日本なのに不思議な感覚に
自身が砕けてしまいます。
夕方過ぎの雨でしっとりとしたこの地には、重々しく神の気配がしてなりませんでした。
島根は何もないよと聞きますが、自分にとっては、何もないことに大きな意味を
感じ取れてなりません。最良の場所です。
一旦無になり、また日常へ戻りそして再び心がこの地を求める。。。
お願いではなく、神様に安らぎを求めているのかもしれません。
| 旅のお話 | 13:59 | comments(2) | - | pookmark |
愛すべき人と動物と・・



















筋肉増強の為のお注射時間。



トイレは7,8mの穴を掘って板がわたされている。



とりあえずやれるものはやる。




やってみる。








ホームステイ最終日の朝は雪。
やはり別れはつらいもの。エメー(おばあさん)の抱擁とキスは
雪を蹴散らすほどの温もりだった。







モンゴル一人旅は終わった。

高原の上で寝転がって見えた景色。
頭は空っぽのまま時を過ごした。
空と長く対面し続けているとふと気づく。風はあるのに雲が流れない。
雲はもっと高い所へと吸い込まれていくのだった。
そして夜の空は隙間なく星が輝き、これが正しい星空なのだと思った。
慌しい現実の日常にいると目の前のことに必死で自然の存在を忘れがちだ。
冷たい風とも改めて向き合い、空と草原に包まれて自分がとても人間らしい
気がした。
雄大な自然と人は上手に共存していくことがシンプルな生き方ではないのか。
モンゴルの旅で得た財産は大きい。
旅をする度に何かが自分の中に染み込んでいく。
旅は人生の道標。命の限り続けたい。
| 旅のお話 | 20:50 | comments(6) | - | pookmark |
ウランバートル

1921年の社会主義革命・建国以来、旧ソ連邦の政治経済の中にあったモンゴル。
1980年代末のソ連邦崩壊、社会主義国の変革の波を受けて民主化運動が
支持を得、1992年に民主国家として新しい「モンゴル国」のスタートを切った。

そんな名残がウランバートルの街並には漂う。
一方では建築ラッシュに伴い高級マンションやオフィス、またその合間に
ゲル集落もあってどこか違和感を感じる街であった。

急発展に伴い、治安の悪化、そして貧富の差。
交通マナーは非常に悪く、車優先で信号なんてあっても無駄。
道路を横断する時も、車がビュンンビュン走るので、向こう側へ渡るのに
最初は命が5つくらい余分に欲しかった。ひたすらモンゴル人を見つけて
横にぴったりついて渡っていた。慣れると一種のゲームのように思えてくる。
それにしてもバスに乗り込むのも一苦労。乗ったあとはもっと苦労。
バス内も人に押し潰され、何が苦痛かと言えばバスに乗ることだった。
けれどどこでも20円で目的地を目指せるので、それに勝る手段はなかった。
同じバスに乗っていた日本語習得中の学生に片言で「一人でバスは危ない。
そして一人でウランバートルも危ない。」と声を掛けられる。
スリ、ひったくり、酔っ払いに気をつけろとガイドブックにもあった。



初めてのIKEAがモンゴルで行くことになろうとは。8坪ほどのIKEA。はて?







美術館、博物館も一通り見て回り、民族音楽や舞踊にも触れることができた。
一人で一度に二つの音を出す歌い方、ホーミーが始まると体ごと吸い寄せられた。
低い声でのメロディ、同時にどこか遠くから口笛のような音が聞こえる。
舌や唇、頭蓋骨、歯、肋骨などを調整して響かせるのだ。
大地が迫ってくるような、突然自然の中に立たされた気がした。

最大の市場、ナラントールザハ。
ここは衣食住が全て揃う。品も安い。
そして最大のスリ天国でもある。
集団スリでやってくるので、ここだけはガイドをつけるようにと
何人にも忠告を受けた。それらは皆、やられている。
渋々、男のモンゴル人ガイドをつけた。彼は日本に3年ほど
働きに来ていたので、ある程度日本語はできた。
彼もジャケットのインナーに財布を入れていたのに帰ると財布がなくなっていたらしい。スリの達人が出回っているのだ。





おばさんと電話がセットで至る所にいて、それが公衆電話の役割となる。
バス停でもよく見かけた。

骨董品は期待したが、仏像や仏具ばかり。漂泊にはまだ早い。

ゲルを建てる時に使われるフエルトや馬の鞍が並ぶ、遊牧民御用達の店。

人混みの中、バッグを守りながら動いていたが、「あっ!」と思う瞬間があった。
そして咄嗟にバッグを見ると、前のファスナーが開いていた。
当然何も入れてはいなかったが、寸分の油断もならない。

ウランバートルで利用した宿泊先は世界中からの旅人が利用するゲストハウスと日系のホテル。
ゲストハウスは2泊で朝食ついて¥1,500くらいだった。
初日深夜にモンゴルへ入り空港からゲストハウスへ、そして疲れた体を
ベッドに倒し、いつの間にか眠りについた。
すると外窓を最初は軽くノックする音が聞こえ、夢かなと目を閉じると
次第にノックがドンドンドン!!と激しい音、また叫び声も大に変わってきた。
まだモンゴルへ着いて3時間くらい、勝手を知らないこの国で
深夜に外窓を叫びながら連打される恐怖。
カーテンを開けずにはいられない状況と開けたくない心情を抱えたまま
勇気を出して開いてみた。
するとそこには一人の外国人がパスポートをこちら側に見せつけ
目を見開いたまま早口でまくしたてていた。
な、何!!???
とりあえず彼を落ち着かせねば!!となだめるフリをして人を呼びに行った。
結局は酒を飲んで帰ったが宿の鍵が開かず、灯りがついてた私の部屋を
頼ったのだった。
モンゴルのお酒はアルコール度数が高い。外国人はすぐに酔っ払うであろう。
そしてトラブルに巻き込まれやすい。
お酒はまあまあだがモンゴルでは一切口にしていない。
飲まされる場面もあったが、しっかり断った。
漂泊を残して、トラブルに巻き込まれている場合ではない。
*11/20(木)はお休みを頂きます。
| 旅のお話 | 00:00 | comments(4) | - | pookmark |
モンゴル料理を食らう その2

まず遊牧民ゲルへ訪れるとスーティ・ツァイという牛乳・塩・バターで
味付けしたミルクティーのようなものが振舞われる。
また、牛乳を沸かし高い位置から何度も何度も混ぜ、上澄みができると
これがウルムというバターになる。

このバターとモンゴル版ミルクティーとパンが別の遊牧民宅を訪れても
すぐに出された。
塩分の多いミルクティー(下写真右)とこってりしたバター(下写真中央)
であると想像していただきたい。

上写真左の端はアーロールという乾燥チーズ。ちょっとクセになる。
漂泊でも持ち帰ってお客様に食してもらったが苦手な人は絶対に無理で
はまる人はおかわりがでるほど。その割合はかなり低めであったが。

揚げパンとピクルス。ありがたき野菜。

ツォイウァンという野菜と肉の入った蒸し焼きうどん。と、野菜サラダ。
このあたりから肉をよけはじめる。

茹でたジャガイモを塩で味付けし、とろりとしたあんがかかってあった。
これは絶品。程よいイモの柔らかさにあんが絡んで何個も食べれた。

肉が入ったおかゆ。

肉が入った野菜スープ、いや配分からすれば肉スープ。

スーティ・ツアイにボーズ(肉餃子)が入ったもの。

ホーショールというボーズ(肉!餃子)を揚げたもの。
これはウランバートルの一般食堂で食べたので羊の肉臭さが一番強かった。
臭みがなければ美味いと思えるであろう。
肉料理ばかり続くとブログを綴りながらもかなり肉酔いしてきた・・・。

モンゴルは中国やロシア、ハンガリーなどの外国から入ってきた料理を
アレンジしているものが多い。
上はゴリヤシというハンガリーの郷土料理。
ご勘弁下さいと頭を少し下げ、肉を2キレ置いて逃げ去った。
そして今日のブログも早く閉じることにする。
| 旅のお話 | 20:12 | comments(0) | - | pookmark |
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